浜松市の英会話スクール YAC横浜アメリカンクラブ浜松校

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Against All Odds
愛が一瞬の表情から生まれることがある。




それは、顔を合わせた時とは限らず、夢中でしゃべっている時とか仕事をしている時などに


むしろ多い・・・などと書くと、安っぽい雑誌の記事みたいになってくるが・・・





考えてみれば、くりかえし同じことを言っているのにすぎないのだが、こういう問題は


人類の歴史とともに古いにきまっている。




愛情の問題ばかりは人が生きている限り絶えることはありえず、だれだって愛され


たいと思っている。




どんなにな難解な思想も、人間が考えたものである以上、究極は孤独と愛情という


人間的な問題に帰する違いない。




高級に聞こえる議論をしているだって、一人になった時の気持ちを想像してみればいい。


みんな頼りなく、寂しいのである。



この孤独感が、相手の気持ちを想像できない独善的な支配に転じると、変態性欲が


表面化したり、独善者になったりするのだろう。



こういう人間は困る。





愛のきっかけは表情だと言ったが、それよりも雰囲気と言ったほうがあたっている。



表情は雰囲気のひとつにすぎまい。



声もある。



その高さ、低さ、話し方の速さ、遅さ、抑揚・・・こういうものがみんなからみあう。



立ち方、座り方、歩き方といった姿勢にも人格はでる。



美しい知的な顔だちの人なのに、笑ったとたんに冷たさが覗いて興ざめしたといった


経験は、誰にでもある。



一瞬で人間がわかってしまう。


顔かたちやスタイルがよくなくても、心根のやさしさ、思いやりといったものは伝わって、


友達ができる。




どちらもダメというばあいでも、せめて自覚していれば救われるのだが。





自己愛ばかり強くて思いやりがない人には、魅力など感じようがない。





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2009'06'29(Mon) .

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Sounds by the shore
疲れた心は、自然の音に耳を傾けてひと時の憩いを求める。



むろん、それは音だけではない。



その音が喚起する、果てしなくひろがる自然の姿、人間の日常の営みから隔絶した

自然の世界に、安らぎをおぼえるのだ。



ただ、孤独を求めているのではない。



孤独なら、都会の雑踏の中にあるのだろう。



むしろ雑踏の中でこそ、それはいっそう深いかもしれない。



だが、都会の孤独にはやさしさはない。



それは闘い続けなければならない者の、索漠たる疲労感であり、愛への枯渇感である

ことが多い。



比喩的に言えば、たいていの人が「岸辺を打つ音」に懐かしさをおぼえ、この音を聞き

たがっているのではないか。



それは、人の力を超えた世界に寄せる思いに他ならない。



そして、そういう思いがわかる者同士でこそ、友情も成り立つ。



そんなことを考えていたら人生の競争に負けてしまう、などとしか考えられない人は、

語るに足らない。



どんなに現実的で負けず嫌いに見える人でも、心の奥にはこういう思いが潜んでいる

はずなのだ。



ただ、表に出さないだけのことで。



その思いにふれてはじめて、愛情も湧くのである。



それに思いいたたれば、争いもなくなる。




自然に寄せる思いは、人と人の心を結びつけてくれる。

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2009'06'22(Mon) .

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Say you say me
この世に生まれれば、さまざまの苦しみから逃れられない。



居心地が悪いということは、悩みがあるということだ。



はじめからちやほやされて、幸せいっぱい夢いっぱいだけで一生を終える人など、

いはしないだろう。



いるように見えたとしても、それは他人の目にはそう見える、というだけに違いない。



幸せに見える人にも、それなりの不満や悩みがあるにきまっていて、ちやほやされると、

こんどはあまのじゃくになって、逆らいたくなったりするものだ。



困ったことに、生きていることを実感するには、何か抵抗してくれるもの、

足りないものが必要なのである。



難事にぶつかってそれと闘っているとき、人は生きがいを感じる。



この世に争いが絶えないひとつの理由が、そこにある。



平和を維持するむずかしさのひとつの原因もそれに違いない。



恨み、怒り、妬み、不満、絶望・・・・こういうものがあるから、われわれは美しいものを

想像して「憧れ」というものを抱く。



自分に達成できないもの、手のとどかないものを他人の中に見て憧れ、美しいものを

探して、心の支えを得ようとする。



何でもくさしてしまう皮肉屋もいるが・・・



じつは、その皮肉も憧れの裏返しなのである。



してみると、不幸も捨てたものではない。



不幸の中で、人は人生についての思いを深め、生きていることを実感できる。



逆に幸せなときには、なかなか生きている実感を得られない。



歓楽が果てたとき・・・・というのはなかなかいいもので、その寂しさの中で、

人は生きている実感を味わうことができる。



だから失恋にも意味はある。



ただし、失恋するためには、まず、恋をしなければならない。





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2009'06'18(Thu) .

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You Raise Me Up
外国へ行くと、いかに日本のことを知らないかに気がつく。


エリザベス朝時代と聞いて、それが関が原のころだということがピンとくる人は少ない。


教会を見てまわっていれば、日本の宗教の歴史に思いおよんで、自分のあやふやな

知識に当惑する。


何も精神の世界の問題にはかぎらない。


建築とか庭園、陶磁器や金属器といった道具の歴史にせよ、それどころか現在の日本の

産業事情にせよ、自分が無知にひとしいのに気がついて狼狽することが多い。


むろん、わたしくらいのことかもしれないが。


それなのにこの後悔も帰ってくればけろりと忘れて、一念発起勉強しようとはしない。


もっとも、中途半端な知識があって、むやみに愛国的精神を発揮するよりは、

まだましかもしれない。


何を見ても、日本ならさしずめ何々ですな、日本にはもっといいものがあるなどと

威張るような人は、あまり多くをまなべまい。


これもコンプレックスの裏返しで、焦っているばあいが多いようだが・・・


陶磁器などは、元来こっちが本場なのだから、日ごろ見慣れたもののほうが

いいことも少なくないのだ。


しかし、それでも外国のものには外国特有のデザインがあって、その感覚の伝統は

気になるはずなのに。


訪れる場所がヨーロッパのばあい、かつての日本人が物心両面でどんな体験を

したかを知っているのも、いろいろなことを考えるきっかけになるだろう。


維新の使節団からはじまって、たとえば漱石、鴎外、藤村といった作家たち、

黒田清輝、藤田嗣治、佐伯祐三といった画家たちがどんな滞欧生活を送ったかに

思いおよぶだけでも、感慨は異なってくる。










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2009'06'15(Mon) .

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Hero
旅とは自分という属性からの一時的逃亡ではないか。


私は自分に、これまで縁のなかった「あてどもない旅」に思いを馳せるとき、


常に行き着く答えはそのような 「後ろめたさ」 だった。



芭蕉に有名な句があるが、「旅に病む」という文学上のモチーフは、


自分の属性から逸脱することが、人間にとってどれくらい「心細い」か、


ということの象徴に他ならない。



旅情なるものが目的を持たない「あてどもない旅」に尽きるとしたら、旅に病み、


そこで朽ち運命に甘んじる覚悟こそ、究極の旅の美学ということになるのであろうが、


私はそういう場面を想像しただけで、心細くなってくる。



ちっぽけで、どういうこともない自分の属性からの脱出が、まるで命をむりやり


断ち切られるように不安で、どうにも平気ではいられないのである。



だが生き物の生態というものは多かれ少なかれそうしたもので、


造物主の定めた生態系の中での営為からの「逸脱」はそのまま「生」の放棄であり、


責任の回避ではないかと、私は、自分のそうした臆病ぶりを正当化するのだが、


人生の楽しみのひとつを放棄しているのも確かなのだ。




それにつけても・・・・・と私が思うのは、


人々が胸ときめかして、旅立ちの表現を隠そうとせずに浮かべているのは成田だけで


羽田も東京駅も ”野暮用長距離移動” の為の索然たる


面持ちの旅人がほとんどのように見受けられる。


それが私の僻目ではない証拠に、ほとんどの乗客が席に着くとさっさと飯を認め、


それが済むと目をつむって車窓風景になど目を向けようともしない。




交通機関の飛躍的な発達は、紛れもない文明的発展をもたらすが、


その一方で旅への情趣などという余分なセンチメンタルは、


スピードアップの勢いに煽られて消し飛んでしまうものなのか?



皆が皆、そんなふうに醒めた顔をしているのを見ると、


私みたいな人間はそれに逆らってみたい気持ちになる。



何かいいことが起きはしないか・・・



人はそう思っては、何度裏切られようとも旅にあらぬ期待を抱く。



たしかに旅という行為は、


くすんだ日常の中には求めようもない「妖しいキラメキ」をちらつかせるが、


それが結果として常に蜃気楼に過ぎないところが旅の健全な娯楽たるユエンであって、


もしその妖しい誘惑が現実のものとなったら、ほとんどの人が一目散に逃げ帰るのではないか。




くすんだ日常に思いもよらなかったキラメキをもたらしたある女性のことが、


程なく、出口のないスパイラルに陥ったあの頃を思い出すたびに、


私は日常からの脱出などという、大それた夢はうたたかである方が一層いいと、


ひとり呟くのである。



Dr.K    




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2009'06'03(Wed) .

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